新年に寄せて ~楽観し過ぎず,悲観し過ぎず

理事長 島津昌代

昨年暮れから注目されてきた新型コロナウイルスのオミクロン株がずいぶん幅をきかせてきました。ウイルスですから,どんどん変異していくのは当たり前のことなのですが,それが自分たちに直接関わってくると思うと,やはり一喜一憂しがちです。

新型コロナウイルスに振り回される日々も3年目に突入しました。人類の歴史をふりかえると,そこには常に感染症との闘いがあり,人類はいろんな天変地異(災害)と疫病(感染症)に見舞われながらサバイバルしてきています。このように,大きく「人類は」という視点でみると,事態はかなり相対的に見ることができて,そんなに悲観しなくても良いような気がしますが,しかし,「自分が」その事態に曝されるとなると,やはり暗い気持ちに引きずられそうにもなります。冷静に物事を見ようとする時,つい自分を棚にあげて他人事のような見方になりますが,自分にも火の粉がとんでくる,自分も決して例外ではないとなると,途端に不安に襲われて過剰に反応するのは人の常なのでしょう。

昨今,「PTG(心的外傷後成長)」という概念が注目されるようになってきました。トラウマを引き起こす可能性のあるような,つらく苦しい経験をきっかけとした心の成長ということです。ただ,それは単純に気持ちを切り替えて前向きになるということを指しているわけではありません。一見元気そうにふるまっていても,心の中は何も変わっていない,また,勝手に触れられたくないから平気そう

に見せている,などということも心の世界ではよくあることです。それでも,心の中ではもがいて大変だけれどそこを何とか耐え忍んだり,事態が通り過ぎるのを待ったり,なんとかかんとか日々を生きていく。起こってしまった大変な事態をなかったことにはできない状況下で生きる支えになるのがPTGということのようです。

さて,今年の干支は「壬寅」。「壬寅」は冬が厳しいほど春の芽吹きは生命力に溢れ,華々しく生まれる年になるというイメージがあるらしいです。個人的には,あまりつらい思いはしたくないのですが,起こってしまったことは仕方ない。ただ,静かに受け止めて,自ずと芽吹くその時期を待ちたいものです。

最後になりましたが,あらためて,本年もよろしくお願いいたします。

活動報告 2021 年度若者層向け
自殺予防・心の健康づくり事業

12月16 日(水)15:30~16:20,坂出市立金山小学校教員向け出前講座に講師として花岡を派遣し,学校長をはじめ15 名の教員と学校カウンセラーを対象に,「ゲートキーパーの役割-ハイリスク生徒のために-」と題して講義を行った。

自殺企図や自傷行為を心の健康問題としてどのように捉えるか,そしてケアを行う上で支援者にはどのような知識とスキルが求められるかについて質疑を交えて解説を行った。

小学校現場でも問題になりつつある自傷行為は,外形的には自殺企図と共通する特徴があるため現場での対応が←


→混乱することが少なくない。自殺と自傷と言う2つの事象を自殺未遂と非自殺性自傷行為と言う視点から,それぞれ,ストレッサー,目的及び目標,感情,内的態度,認知の状況,対人関係における行動特性などに整理して解説を行った。

「不安と回避」という行動特性を持った愛着障害を抱える人に対しては,「信頼と自立」に向けて,いかに安定した愛着スタイルを持てるように支援するかについても触れておいた。

仕切線

コロナロス世代の安全基地

天災・疫病・大量虐殺・経済危機など,脅威にさらされると,多くの人や企業,そして国家は,明晰さを失うと言われます。

こうした脅威にはサバイバル戦略があり,その基本は,日常性の回復と維持,正確な情報の提供と取得であるとされています。

そして,政治の役割は,正常性バイアスによる根拠のない楽観主義に陥らないこと,長期的な脅威を見抜く能力としての「緊張感」,心理社会的に脆弱な階層への支援とそうした階層を作らないこととされています。

コロナ禍は,特に年少児にとって生活の激変が心身に影響を与えるだけでなく,子育て世代の心理社会経済的環境が不安定になるため,生育期にある子どもに与える影響は少なくありません。

一般に,幼少期の養育環境が不適切であったり,親が大きなストレスや不安を抱えていたりすると,愛着形成過程が不安定になり,その後の人間関係や社会性の発達に困難をきたすことが明らかになっています。

思春期・青年期世代においては,仲間体験,アイデンティティの取得,進路選択など,社会的自立のための発達課題に影を落とします。コロナロス世代には,中長期のタイムスパンで成長過程の見守りと支援が必要です。

こうした中で,子ども若者には,以下のような頼れる人や物や場所など,安全基地が有効とされています。

  • ①家族,友人,教師,カウンセラーなど,つらいときに頼れる人や人間関係やサポートがある。
  • ②本,スポーツ,ネット,趣味など,自分が好きなことやリラックスできる心の支えになるものがある。
  • ③安心して過ごせ,心地よくなる時間や場所など,心の拠り所やシェルターなど居場所がある。

参考文献:

  • (1)『そだちの科学 愛着とその障害』(日本評論社 2019年10月号)
  • (2)『愛着とメンタライジングによるトラウマ治療』(J.G.Allen著 上地・神谷訳 北大路書房 2017)
  • (3)『危機とサバイバル-21世紀を生き抜くための〈7つの原則〉』(ジャック・アタリ 林 昌宏訳 作品社 2014)

(マインドファースト通信編集長 花岡正憲)


第215回理事会報告

日 時:2022年1月17日(月)19時00分~21時20分
場 所:マインドファースト事務局オフィス本町 高松市本町9-3白井ビル403

事務連絡および周知事項,報告事項:省略
議事の経過の概要及び議決の結果

第1号議案 会計に関すること:島津理事長から説明資料をもって報告があり承認された。塚本会計士に照会中の2万円の商品券の扱いについては,いまのところ回答がない。2021年12月23日付で法人の百十四銀行口座に50万円振込があったが,心当たりがないため確認を取ること。以上了承された。

第2号議案 「居場所づくり事業」に関すること:(1)REPOS担当の山奥から,今後の開催要領について資料に沿って説明があった。①ホームページ原稿は第4次案で掲載すること。②スタッフの増員に関しては,予定されていたファミリーカウンセラーが,REPOS参加者との間で多重な人間関係が発生することを主たる理由として辞退の申し出があった。これは支援者倫理の観点から妥当な判断であり当人の申し出を受け入れる。また,新たに上田ファミリーカウンセラーが月1回のスタッフとしての参加を申し出ていることから,当面試行的参加の機会を設けること。REPOS開催日によってはスタッフ3人体制になること。③開催会場は,四番丁コミュニティセンター1階和室(約30畳)に変更する。会場使用料が発生するが,調査研究として2022年度の時限事業として実施し,年度末に事業評価を行うこと。以上で承認された。(2)リトリートたくま担当の柾から,①会計報告が紙面で示された。②三豊市の2022年度事業としての助成については回答待ちであること。以上了承された。

第3号議案 2021年度香川県自殺対策強化事業に関すること:(1)今年度新規のファクトシート作成について花岡が原稿作成に取り組むことを確認した。(2)ブロシュール類の発送先リストをファミリーカウンセラーにも回覧して,発送先の追加,訂正等を求めることで了承された。柾理事から,放課後クラブへ「HOPE」のブロシュールを届ける案が出ていることを踏まえ,まず箇所数を確認することで了承された。(3)ブロシュールとPRカード発送作業の事前準備はAIYAシステムに依頼し,2月11日(金・祝日)13:00からオフィス本町で封入作業を行う。そのためのマンパワー要請をファミリーカウンセラーに呼びかけることで了承された。(4)ブロシュールの発送完了後に各種残部数を確認し,増刷することで了承された。

第4号議案 オンライン会議のネットワークの構築に関すること: AIYAシステムの技術的援助を受けて,まず理事会からオンライン会議を導入する方向で了承された。

第5号議案 「令和3年度高松市精神保健福祉ネッワーク事業~自殺未遂者支援関係機関ネットワーク会議~」に関すること:2月24日(木)開催の標記会議について,理事の植松及び森本を派遣することで了承された。

編集後記:近年,交際期間が長いカップルの中に,なぜ結婚しないのかと尋ねられると,将来離婚のリスクがあるからだと答える者が時々見られます。結婚の障害は,マッチングだけでなく,メインテナンスにもあることは言うまでもありません。愛し合う2人がこれから何10年も愛し合っていけると思うのは根拠のない楽観に過ぎず,最悪を想定しておくことは大切です。とは言え,離婚リスクを回避するために非婚を選択するのも根拠のない悲観主義と言えるでしょう。諸外国では,パートナー選択の障害,結婚生活を続ける上での障害などに関する夫婦・家族研究の実証的データの蓄積が少なくありません。カップルが,家族ライフステージのどこかで起こりうる危機を予想しておくこと,そして,危機に際しては,適切な支援を求めることが大切です。初詣で,良縁,夫婦円満,家内安全を祈願するだけの他力本願型でもなければ,危機を2人だけで抱え込む自己完結型でもない解決方法があると言うことです。もっとも,男女の出会いのためのマッチング・アプリはあっても,カップル・夫婦・家族のメインテナンス・アプリの開発は,難しいでしょうけれど。(H)